庭師バーニーはなぜサーと呼ばれないのか

80歳になっても未だにバーニー・エクレストンは総予算数千億円といわれるF1を「手作り」で仕切っている。あたかも多くの英国人が好きな「ガーデニング」のようだ。枯れた草木を取り除き、石垣を直し、水はけや景観を考えながら新しい苗を植える。それを「F1ガーデン」でやってきた。出来上がった庭はそれは見事で、どうやったらこんな立派な庭が出来るのか皆不思議に思うが、絶妙で「危うい」調和の上に成り立っていることがわかるとただの傍観者になってしまう。

ガーデンの中の草木の中には好き勝手に伸びようとしたりするものもいる。それをあっさり切ったり、伸び放題にするのもバーニーの腹一つ。とはいえ、好き嫌いで切っているわけではない。あくまでも庭を守るためだ。

独裁者、非民主的、強欲といわれるが、これほどF1のためだけに人生を捧げている人は、今までもたぶんこれからも出てこないだろう。あえて呼ぶとすれば「偏屈者」か。

1996年にバーニーは英国王室からのCBEの叙任を辞退したという。
金にしか興味がないからだとか、CBE (勲三等ということか?)程度では満足できないからだとか、フランク・ウィリアムズと同じナイト称号が欲しいからとか見方はいろいろ出来るものの、本人が「興味がない」と言った言葉こそ本音のような気がする。

この偏屈者の庭師の見事なガーデンを見ていられるのもあと僅かかもしれない。

サー・リチャードとバーニー、知れば知るほどVirginグループ総帥の功績などバーニーの足下にも及ばないように思う。
だからこそ、本人はファーストネーム以外で呼ばれるのはいやがるだろうが、生きている間に最高位のknight grand crossで遇してもらいたい気もする。

それとも、死んでもサー・バーニーと墓碑銘にファーストネーム以外の名が刻まれるのが嫌なのか?