ロビー・キーンがいない2010年六月
文句いうとき便利な関西弁モードでぼやいたろ。

好きなアイルランドとロビーキーンが来年六月に本大会で観れないから文
句をいうているのではなく、今回の予選プレーオフでのTierry Henry
の例のハンドの件は日本でもより正しく詳細に伝えられるべきやろ。

日本人には理解し難いほど英国人はfair
を重んじる。ついでにいうとアメリカ人や中国人のようなあからさまな怒
りはよう見せんから、皮肉たっぷりなソフトな怒りの表現をするっちゅうの
は、stiff upper lipな気質によるところが影響して、本当はごっ
つ怒ってたりするわけ。

せやからフットボールの根幹に関わる問題いうことでねちねち議論しよる。レフェリーに全てを委ねるゲームという意味ではあのハンドはfairとせざるを得ないという意見もあるわけやし、見落としたレフェリーに非があるという意見もある。
同じフットボールといわれるゲームで、同様に全てをレフェリーに判断させていたラグビーやアメフトもビデオ判定を導入しているんやから、そこの議論があるっちゅうのはあたりまえ。

さらにいうと、意図的にハンドボールの反則を犯し、さも何事もなかったようにゴール後よろこんでいたhenryこそ断罪されるべきという意見が大方の世論やったりする。bbcのコメンテーターもあからさまにボロクソいうたりする。

そんなら日本はどうかっちゅうと、テレビや主要な日刊紙はレフェリーにに文句を吐くっちゅうことは、fifaやサッカー協会、すなわちお上に文句をいってるのと同じというふうに過剰に判断して結局腰が引けてしまうわけや。神の手発動とかもう一点取れなかったアイルランドがわるいとか上っ面の意見しかでてけえへん。「A beautiful game」と呼ばれる建前のところ以外の本質がみえへんのよ。

サッカーだけやなくあらゆる競技において日本は本質の議論が出来てないように思うのはわしだけやろか。